2つの中心を持つ楕円の社会

【今日のダーリン】糸井重里 ほぼ日より

久しぶりにページ開いたら、うまく言うなぁ、確かになぁと。

私は、ペットボトルの緑茶を見て、これを思う。

(人が)淹れる手間を省こうとするのは、当然の気持ちだけど、

同時に、自分(=人)も省かれるという可能性を持つ。

そういうサイクルは悲しいと、思ったことないのかなぁ?と。

どちらも選べるということに、意識を向けたいです。

私は、私を生きているという実感を持ち続けたい。だから、やりたいことは納得いくまでやり続けたい。

~~~糸井重里氏の言葉~~~~~~~~~~

・都市で生活していると、たとえば冷蔵庫がなくても、

少し歩いてコンビニに行ったら、

飲みものでも食べものでもそこにある。

車庫もクルマもなくても、タクシーをつかまえられるし、

レンタカーを借りたらドライブはできる。

服も、靴も、足りなかったら買いに行けばそこにある。

料理をする道具がなくても、外に食べに行けばいいし、

掃除が嫌いなら掃除する人を雇うということもできる。

マンガも、本も、マンガ喫茶や図書館にある。

さまざまな、「内」にあったものは、

「外」に置かれることになった。

内部だったはずのものが、外部化されていった。

じぶん自身が身に備えておくはずだった技術なども、

分業化され、部品として買えるものになった。

ということは、じぶん自身も、

他人にとっての分業の一部門であり、部品である。

コンビニの売り子にとって、

コンビニの客は販売というしくみの部品でもある。

人が「機能」を求められるということは、

それだけ「機能(部品)」として、

あてにされているということでもある。

都市とは、孤立化していくようにも見えて、

実は部品としてあてにされている社会である。

ただし、部品は壊れたり機能しなくなった場合には、

交換可能であるような(匿名の)ものである。

都市化というのは、分業化であり、部品化である。

このことを、嘆いているのではない。

そういうふうになってきたという事実を言ってるだけだ。

逆に、都市を離れて自給自足などをする人たちは、

できるだけ「内」に多くのことを取り入れたいわけだ。

分業の他人をあてにし過ぎたくないのだと思う。

ある意味では、こちらのほうが、

関係をクールにとらえているのかもしれない。

「どっちも選ぶ」という方法が、できるのではないか。

都市と、都市以外、ふたつの中心を持つ楕円の社会。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。

じぶん用のメモを、ちょっと読みやすくして掲載しました。

~~~~記事転記、終了~~~

2014年 7月4日にFBに投稿した記事より

 

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感性Lab.静岡 金澤木綿(ゆう)

■お茶を使ったリラクゼーション法「茶瞑想」
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■感性コミュニケーション&感性トレー二ング、感性プロデューサー

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