学生時代の恩師から、紹介状を頂きました。ありがとうございます。自分との対話に迷い疲れた時、私はよく先生と、手紙と言う方法で会話をしました。先生の温かいまなざしに、涙したり力を頂いたり。「あなたは輝く原石を持っている。」最初からずっと、そういうメッセージを送って頂きました。その原石は、責任もって磨かなくては・・・・。
輝く原石は、誰もが必ず持っています。一緒に、磨きませんか?磨けばあなたの個性が見えてきます。その過程は発見の連続で、本当に楽しいんですよ。 木綿
かなざわ ゆうさん という人
東洋大学社会学部教授 稲木 哲郎先生
もう20年ほど前、その年は23人と人数の多い私のゼミ(クラス)で、個性的な学生たちが自由な議論を交わしていました。その中でひとり、とくに進んで発言することもなく、何か自分の思いに迷いつつ浸っている、色白の目のきれいな女子学生がいました。なぜか私は、彼女から静かな暗黙のパワーが発せられているのを感じたのです。「この人にはまだ磨かれていないダイヤモンドの原石が埋まっている」「彼女はこれから先、その原石を磨きつつ、他の人にはできない生き方をしていくだろう」。
卒業式の日、袴姿の女子学生が圧倒的に多い中、彼女は目の覚めるようなブルーのサリーを着て現れました。私はその姿に彼女のセンスを見るとともに、「いよいよ出発だな」という思いを持ったものです。この人が金澤木綿さんでした。
卒業後も折にふれ下さった手紙には、いつも迷いながら目的に向かって一歩一歩慎重に進む彼女の心が書かれていました。私は彼女の手紙が楽しみでした。
いくつかの有名な職場を移って、静岡のお茶農家に住み込んで働くという報告を聞いて、私はさほど驚きませんでした。「原石が輝いて来たな!」と。社会に出ていろいろな人に出会い、磨かれながら着実に自分の夢に近づいている姿を感じ取ったものです。
改まってお茶というと「茶道」のイメージがありますが、彼女は、昔から庶民の日常生活の中にとけ込んだ「普通の」お茶を追求しています。そういえば東京の貧しい下町育ちの私には、子どもの頃、長屋の小母さん、お婆さんたちが世間話に花を咲かせ大きな声で楽しそうに笑っているとき、必ず傍にお茶があった、というセピア色の記憶があります。
ところで、彼女の大学での専攻は社会心理学でしたから、全く違う世界に入ったように見えます。しかし、この学問の重要な研究領域である「コミュニケーション」について、彼女は、おそらく無意識のうちに、そのドライで無機質な言葉で表される関係性を、人どうしの暖かい潤いのあるつながりに変えていく作用を果たしてきた「お茶」に強く惹かれたのではないかと、私は密かにそう思っています。
彼女の宝石がますます輝きを増していくことを楽しみにしています。